ポエム Poem(散文)

2013年8月 3日 (土)

誰かさんへの手紙

ももちゃんのひとり言

 

あたし、16才。

女の子。

パッチリお目めの大きな瞳が自慢です。

 

体は小さめだけど、ふっくらぽっちゃり。

色白小顔で、たぶん、かなり可愛いほうだと思う。

性格はおっとりタイプよ。

でも、人に触られるのはあんまり好きじゃないわ。

 

 

Rママは、あたしが大好きだった人。

あなたはあたしをとっても可愛がってくれた。

それでもあたしはあなたを避けていた時期があったわ。

5年、 6年?

だってあなたはあたしを置いてけぼりにして、ひとりでお嫁に行っちゃったんだもの。

 

でもね、思い出したの。

あたしがまだ手のひらサイズだった頃、

あなたがどんなにあたしのことを好きでいてくれたかってこと。

あたしは、そんなあなたの帰りをどんなに待っていたかってこと。

家に戻ると、あなたは毎日真っ先にあたしの名前を呼んでくれた。

部屋の物陰でかくれんぼをしたり、布団をやぶったり、ティッシュを箱から全部出しちゃったり、

どんな悪戯をしても、あなたはいつもやさしくあたしを撫でてくれた。

 

その手のあたたかさは、今も同じ。

そおっとやさしく、あたしの背中をなでてくれる。

 

 

あたし、子供はあんまり好きじゃなかったわ。

だって声が大きいし、無遠慮だし。

あたしの気持ちなんかちっともお構いなしにズカズカ近寄ってきて、一度にたくさんの手で撫で回されたら不愉快でしょ。

でもね、わかったの。

あの旅立ちの朝。

5才のあの子が、あたしのために泣いてくれたから。

「もっと一緒にいたら、もっと仲良くなれたのに。」

そう言って、天をはり裂くような大声で、あなたの子が泣いてくれたから。

 

そうよね。

あたしも、今はそう思える。

 

 

さようなら、あたしを愛してくれた人たち。

 

あたしは、寂しくないわ。

だってあなたたちはこんなにもあたしを好いてくれたから。

心があったかくなって、天国へ昇っていくの。

 

だから心配しないでね。

あたしは、あなたたちのことの方が心配なくらいなんだから。

 200703151052002_2

 

16才の老猫を、わたしは病院に連れて行くべきかどうか、ずいぶん悩みました。

病院では点滴を投与されました。

たしかに当日、翌日は一見回復したかに見えましたが、

三日目の早朝、彼女は逝ってしまいました。

点滴が効を奏したのか、その逆だったのか、今もってわたしには答えが出せません。

口から入れられないということは、入れたものを出す力も弱まっているということ。 彼女の腎臓は点滴の水分を排泄することが出来ず、二日後には消化管への水分の滲出の苦しさに耐えきれなかったのか、彼女はもがきながら逝くことになりました。

中医学の学びは、天人合一整体観念 などから始まります。

人体は自然界、果ては宇宙の影響をも受け、人体そのものの統一性・完整性を重視するという考え方。

臓器をパーツとして見るのではなく、体全体に密接な相互関係が存在し、その調和のなかで健康が維持されるという思考の世界。

もしも、点滴をしていなかったら、

彼女はもっと静かに、もっと安らかに、逝けたのかもしれない。

わたしは老猫の臨終に際し、大きな反省の念を覚えるのでした。

H25.8.2 (金)

 

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2012年7月15日 (日)

夏が来ると思い出す☆2

ラムネ色の夏

 

夏が来ると思い出すもの。

しょっぱい海、空にうかぶ入道雲、

足の裏にからまる熱い砂、子供たちの笑い声、

縁側を横歩きする沢ガニ、スイカ、ラムネ、おばあちゃん、ぼっとん便所と五右衛門風呂、

宝来橋のたもとの高橋薬局・・・

 

小さな田舎の駅を出て柳井川にそって歩いていくと、せせらぎの向こうに古い木造のその薬局はありました。

ガラス戸を開け、カーテンの代わりにかけられた日に焼けた大風呂敷を手繰り寄せると、そこはたしかにあったはずの場所。 古風な店の土間には不自然な木の板が二畳分ほど敷かれていて、戦時中の防空壕の名残りを残しています。

わたしたちが到着すると、おばあちゃんが必ず用意してくれているもの。

井戸水できんきんに冷やされたまん丸のスイカ。 1ダースのラムネ。

その家に到着するときれいに磨き上げられた縁側に腰掛けて、汗をぬぐいながらみんなでそのスイカを頬張るのですが、、、

誰からともなく、中庭に向かって「ぺっっ。」とスイカの種を吐き捨てるのです。

それはおばあちゃんと私たちだけの秘密の流儀。

スイカを食べ終わると、普段は薪割りをするその中庭をおばあちゃんが念入りに掃き掃除をするのが里帰り初日の定番行事でした。

 

目を閉じればこんなにもはっきり思い出せるのに、今はもうない夏。

 

ふとした拍子に思い浮かべる幼い頃の記憶を、今、無性に愛おしく思い出されるのには訳があります。

 

「光の消えた日」

いぬい とみこ 作

なぜかこの頃、柳井市出身の七十ウン歳の方々の間で静かなブームになっている本。

 

半年ほど前のある日、仕事中のT子さんに連絡が入りました。

「いぬいとみこ先生の『光の消えた日』を持っといででしたら、貸していただけませんでしょうか?」

それは久しぶりに聞くT子さんの同級生の声でした。

この本のブームはこれまでも何度か去来しているのですけれど、今回は本を元に皆で輪読会をしたいとのことでした。

「ごめんなさい。その本は読まそうと思って娘に貸してから失くしてしまって。」

えぇぇぇ 、なんですかそれは!わたしが悪者ですか!?

わたしはT子さんをなじりたくなる思いを必至に抑えましたが、汚名を返上する機会がようやくやってきました。

一ヶ月ほど前、離れの掃除をしていた際に、部屋の隅にちょこんと整頓されて並んでいた本たちを発見したのです。 T子さんにしまわれたまま忘れられていたのでしょう。

 

ほこりを払われて母屋に戻ってきたその本を見たT子さんは、殊の外うれしそうでした。

ページをめくると、そこには聞き覚えのある柳井弁がそこかしこに溢れていました。

おばあちゃんがしゃべっていた言葉と同じ響き。

懐かしく読み進むうちに、わたしはいつの間にか“いぬいとみこワールド”に引き込まれていきました。

 

Photo_7 

時は終戦前の昭和十数年頃。

物語は最初、広島からほど遠い瀬戸内の田舎町の幼稚園を舞台に繰り広げられます。

主人公は女学校を卒業して間もない保母さんの今泉朋子。

二十歳そこそこの今泉朋子の目を通して映し出される情景は、敗戦間際とは思えないほどほのぼのとしたやさしい慈愛に満ちたものでした。

T子さんは、なんと 『はにかみやのTコ』 という園児として物語に登場します。

園児たちは皆、今泉朋子先生が大好きでした。

“キミコ” も “ノリオ” も “ショウヘイ” も。

“Tコ” も例にもれません。

「いぬいとみこ先生の膝の上はいつも争奪戦だったのよ。ふわふわして暖かくて気持ちよくって。いぬい先生のだっこがとってもうれしかったの 。」

 

ある日、今泉先生は園児たちの喜ぶ顔を見たくて大切な大切なクレヨンで紙芝居を作ります。 そのクレヨンは、出征のために帰郷する前日の恋人から今泉先生に贈られた最初で最後のプレゼントでした。

『わぁ、きれいじゃねぇ。』 園児たちは奇声を上げながら色とりどりのクレヨンに群がります。 みどり色のクレヨンを一番最初に手にしたのは “はにかみやのTコ” でした。

物資が不足していた配給の時代、幼い園児たちは色クレヨンを見たことがなかったのでしょう。

貧しいながらも心温まるエピソードの数々。

けれど戦況の悪化に伴い、物語は次第に時代の暗い影を感じさせていきます。

 

中盤に入ると、

それまでの穏やかな雰囲気が一変し、ノスタルジーに浸りながら読んでいたわたしの脳に衝撃が走ります。

8月6日の広島の原爆投下、14日の光の空襲。

終盤には誰かの記憶に埋もれていた“その日”の真実が、女学生や見ず知らずの女性の口を借りて語り出されます。

柳井は小さな田舎町でしたが、当時多くの学徒や女学生たちが一大軍需工場と化した光工廠(こうしょう)に動員されていた関係でその空襲で多くの若い命が失われたとのこと。 玉音放送の前日の出来事でした。 

今泉朋子はその有様を数十年後、幼稚園に実習に来ていた女学生達と再会した際に聞くことになるのですが、、、

そんな作中のエピソードを、ここにひとつだけご紹介しましょう。

 

ある女性の告白。

原爆投下の数日後に被爆した甥たちを探しに焼け跡の広島をさまよっていた時のこと。

火傷のきずのとてもかるい子がいました。その女の子はほんとうに小さくて、「お母さん」といえずに、「たぁたん」といっていました。二つくらいでしょうか。その子が、しきりにわたしを見あげて何かいっているのです。

すぐ近くまで火が燃えてきて、けむくって、いきがつまりそうな場所でした。わたしは、火傷のかるいその子をだいて、安全なところに逃げようとしました。・・・・

するとその子は落ちている大きな家のたる木の下をのぞきこんで「たぁたん、たぁたん」といってはわたしの手をひっぱります。・・・・

わたしは両手でそのあたりを夢中で掘りました。火の手が前からも後ろからもちかづいてきます。ようやくたる木の下の地の下から、「たぁたん」とその子がいっている人の手の先だけ、ほんのすこし出てきました。・・・・

「さ、あんた、ここにいては焼け死ぬんよ、わたしといっしょに逃げましょう…」わたしは、その子をだきあげて逃げようとしました。でも、その子は「たぁたんとねんね」「たぁたんとねんね」とだけいって、手のさきだけの母親のよこのたる木とならぶようにして、ねころんでしまったのです。

こわいほど、おとなびた目の女の子でした。女の子は「たぁたん」の手のさきをにぎると、わたしのほうを、(ありがとう)というようにじっと見て、にっこりわらいさえしたのです。火がわたしのもんぺのところまで迫ってきました。(ごめんね…ごめんね)と、わたしは目をつぶってそこから逃げだしてしまったのです。…生きていたその女の子を見殺しにして…。 【光の消えた日/いぬいとみこ作 一部抜粋】

 

幼子がその母を求める思い

それもまた、無償の愛なのでしょう ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

 

この作品を読んでしまった今、

わたしのラムネ色の夏の思い出は、70年前の戦争と広島の原爆と犠牲となった人たちの悲しみとに結びついてしまいました。

そして現在、原発再稼動を巡ってさまざまな意見がこの国を飛び交っています。

わたしたちは、

今いる子供達のために、どんな未来を描いていけばよいのでしょうか。

 

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主人公の今泉朋子は いぬいとみこ その人です。

いぬいとみこさんは、

幼い日のT子さんが大好きだったその膝に我が子を抱き寄せることのないまま、独身の童話作家として生を全うされました。

T子さんは幼稚園時代にいぬい先生に教えてもらった「にんじん、だいこん、かぶら」の歌を今も口ずさみます。

 

にんじん♪ だいこん♪ かぶら~♪

にんじん♪ だいこん♪ かぶら~~♪ 種をば蒔くよ~♪♪ ・・・♪

 

それはやせ細った園児たちにお腹いっぱいの夢を運ぶ、魔法の歌だったのかもしれません。

 

柳井川の宝来橋は、後に名前がその川の橋々を転々としたそうです。

「こっちの橋が宝来橋じゃったのに、向こうの橋に名前をとられちゃったんよ。」 なんておばあちゃんは言っていました。 今、その橋はなんという名前になっているのでしょう  ・・・

 

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<長 新太 画>

 

 

 

9月28日 後日記

今日は山口県の山陽小野田市にお住まいの O夫人より、柳井市の写メールをいただきました♪

TV画面に映ったところを急いでパチっと写メして下さったそうです。

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夜の白壁の街に、ぽぉっと浮かぶ金魚ぢょうちん。

 

おばあちゃんの高橋薬局は、こんな通りの数軒先にありました。

この静かな情緒が、いつまでも残ってくれますように。

おばさま、ステキな写メをありがとうございました

 

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2011年4月12日 (火)

土くれのこえ

天罰と人災と?

 

ぼくは土くれ。

みんな、ぼくを思い出して。

君たちが生まれるずっと前から、ぼくは君たちを守ってきたんだ。

ぼくは、セシウムを吸着するよ。

時が経ち、植物は生まれ変わり、いつか危険もひっそりと身をひそめるだろう。

ぼくは、君たちを守ってあげる。

だけど、君たちも変わらなくてはいけないよ。

君たちは恐竜じゃない。 君たちには知恵がある。

その知恵を、正しいことに使うんだ。

 

この天災は、

君たち種族へのいましめか、

大地からの、地上を侵食する文明への警告か、

はたまた、破壊的なエネルギーを手にした人類への、神からの啓示なのか。

それは、誰にもわからない。

 

でもね、

ぼくは、ひとつだけうれしいの。

君たちは、あの日からすこし変わった。

心の中に隠れていたあたたかな思いが、誰かと誰かの絆をつむぐ。

 

そうだよ、

君たちの知恵は、そうして使えばいいんだ。

 

ぼくは、君たちを守る。

これまでも、これからも。

だから、ぼくをアスファルトやコンクリートで覆わないで。

ぼくは草がすき。

木もすき、森もすき。

 

あたたかな人の手もすき。

 

 

わたしたちの国を襲った未曾有のこの事態から脱却するために、

優秀な頭脳をもつ専門家による幾多の打開策と、使命感を胸に秘めた勇気ある行動が切に待たれます。

政治家の諸先生方におかれましては、責任の押し付け論と揚げ足取りに時間を費やされることのありませんように。  原発事故の早期収束と東北地方復興、更には日本社会の発展を目的とした議論に専心して頂きたく、切に懇願申し上げます。

電力によって、明るさと 便利さと 快適さを享受してきたわたし達は、

今回の事故を、ただ一重に東電と原子力発電のせいにして良いものでしょうか。 なんとか皆で知恵を出し合って、なんとしてもこの場を乗り越えられますように。

 

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2011年3月26日 (土)

明日の勇気

あの地震の日から、何日経ったでしょう。

 

被災された方々をなぐさめたくて、

勇気付けたくて、

それでも、言葉が見つかりません。

今はたくさん泣いて、たくさん悲しんで、たくさん後悔しているかもしれない。

きっと、今はそれでいいの。

 

でもね、たくさん泣いたその後に、

思い出してください。

あなたの中には、生きる勇気が眠っているはずです。

その勇気を忘れないで。

きっと、あなたの明日を切り開いてくれるから。

 

アンパンマンのマーチ、くじけそうな時のお守りの歌になります

 

 

赤堀薬局の今日、

午前中の出来事

 

「まいど。」

いつも元気な S さんが、いつも通りの陽気な掛け声でお店に入ってきました。

でもちょっとだけ、いつもと違う。

そうそう、制服を着てるんです。 普段からサッカーやトレーニングで体を鍛えているSさんですから、制服を着用した姿は一段と男前です。 そう、Sさんは消防士。

「今からフクシマに行くんだよ。」

薬を手にしながら、いつも通りの陽気な声。

えっっ? フクシマ 福島? Sさんがあんまりにも普通に言うから、思わず問い返してしまいました。

消防団で出陣命令(って言うのかしら?)が出たとのこと。

心の広い屈強なSさんのことですから、被災地でもきっとすばらしい働きをして現地の方々を助けるでしょう。

あぁ、ここにも一人、ヒーローがいた。

あの地震の日以来、わたしの涙腺は幾分ゆるくなっています。

潤んでしまう目頭を隠したいのと、お餞別にドリンクの一本でもと思ってドリンクケースに駆け寄ると、

T子さんが一言、

「一箱、お持ちいただきなさい 。」

さすが、T子さんです。

Sさん、いってらっしゃい。 がんばって沢山の人を助けてきてあげてください!!

 

薬剤師会でも現地に赴くボランティアの薬剤師を募集しているとのことで、わたしもT子さんのお許しを請おうとしたら・・・

もちろん、不許可。

理由は明白。 赤堀薬局にはわたしがやるべき仕事が山ほどあって、微力ながらわたしを頼りにしてくれている患者さんもいて、もちろん家族の世話もしなくてはならなくて、、、 だから、人助けを謳って遠くに行かなくてもここで十分皆さんのお役に立ちなさい、ということ。

言われるだろうな、と思っていたことをすっかり指摘されてしまいましたが、T子さんの最後の一言にわたしの心はほっこり温かくなりました。

「そういうところ、あなたはあの人に似てるわね。」

「阪神淡路大震災のとき、あの人もボランティアに行きたいって言ってたわ。」

そう、わたしはY男さん似。 これがわたしのプライドです

 

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2010年7月 9日 (金)

失くしたものはなんですか?

探せない失くしもの

 

ある雨の日、ももは森をなくしました。

だいじなだいじな森でした。

 

ももは森が大好きでした。

小鳥も森が好きでした。

のら猫のムーも森が好きでした。

森にはミミズやクモや毛虫やムカデがいたけど、それでもみんなみんな森が大好きでした。

森もみんなが大好きでした。

森は小鳥に、すてきな休憩場所をあげました。

ミミズには、落ち葉のごちそうをあげました。

ももには、宝石のように光る朝露と、まぶしい木漏れ日のシャワーをあげました。

 

みんなは森が大好きで、森もみんなが大好きだったのに、

森はどうして消えてしまったのでしょう。

消えた森をみて、ももは涙があふれてきました。

小鳥も一羽、二羽と、あったはずのお気に入りの場所をさがして鳴きました。

ももは森が大好きでした。

森には、もものお父さんの思い出があったから。

森には、ももとお父さんの秘密の約束もあったから。

 

でも、森はもうない。

木漏れ日のシャワーが降ることもない。

 

 

失くしものが見つからなかったら、失くしたものを作ってみたらどうでしょう?

同じものにならなくてもいいの。

そうするうちに、木漏れ日のシャワーが見えてくることがあるかもしれません

 

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2009年12月12日 (土)

とびのジンキ(腎気)

大好きなねこ。

 

ぼくは赤堀とびまる。

赤堀家の長女に連れられて、13年と7ヶ月前にこの家にやってきた。

生後一週間で生母と引き離されるという無茶をされたけど、まあまあ元気にここまでやってきた。

この家の人たちは、ずいぶんとぼくを気に入っていたようだよ。

でも、なにかというと生薬の匂いを嗅がされたり、漢方薬を飲まされるのには正直参ったなぁ。

 

ちなみに、ぼくはハンサムです。

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         ほら、ね。

      きれいでしょ。

家族のみんなにも、主人の客人にも、いつもそう言ってほめられるんだ。

ぼくはこの家を気に入っていたし、家族のことも大好きだったから、ここには長居するつもりでいたけど、

例のあそこから連絡が入ったから、そういう訳にもいかなくなっちゃった。

ぼくらにはぼくらの掟があるんだ。

 

お世話になった記念に、ぼくは長女にプレゼントをすることにした。

長女は漢方オタクだからね。

たぶん、最高のプレゼントだよ。

 

陽気暴脱を見せてあげたんだ。

 

おっと、ようきなんとかと言っても、諸君にはなんのことかわからないね。

長女流に中医学用語で言ってみたのさ。

こんな瞬間は、なかなかお目にできないだろうからね。

長女はずいぶんと焦ってたな。

真陽は腎で燃えているからね、これは腰にくるよ。

嘔吐するにも、まともに立てやしない。

 

さあ、長女に見せられるのはここまで。

 

体力は消耗してたけど、しっぽを膨らませて、特上の唸り声をふたつ上げてみた。

長女はひいてたな。

ぼくの言葉を理解したのか、びびってたのか。

長女は陽気固脱しなきゃとか、回陽救逆とか、附子とか人参とか乾姜とか泣きながらぶつぶつ言って走っていった。

ぼくのもくろみ通りさ。

最後の瞬間は見せられない。

参附湯の味見は自分でやってくれ。

そろそろ時間だ。

 

なかなか楽しい猫人生だったよ。

2009.12.11 15:40 

命は育まれて、そしてバトンタッチされます。 この命、ひとつの命、次の命を大切に

 

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