誰かさんへの手紙
ももちゃんのひとり言
あたし、16才。
女の子。
パッチリお目めの大きな瞳が自慢です。
体は小さめだけど、ふっくらぽっちゃり。
色白小顔で、たぶん、かなり可愛いほうだと思う。
性格はおっとりタイプよ。
でも、人に触られるのはあんまり好きじゃないわ。
Rママは、あたしが大好きだった人。
あなたはあたしをとっても可愛がってくれた。
それでもあたしはあなたを避けていた時期があったわ。
5年、 6年?
だってあなたはあたしを置いてけぼりにして、ひとりでお嫁に行っちゃったんだもの。
でもね、思い出したの。
あたしがまだ手のひらサイズだった頃、
あなたがどんなにあたしのことを好きでいてくれたかってこと。
あたしは、そんなあなたの帰りをどんなに待っていたかってこと。
家に戻ると、あなたは毎日真っ先にあたしの名前を呼んでくれた。
部屋の物陰でかくれんぼをしたり、布団をやぶったり、ティッシュを箱から全部出しちゃったり、
どんな悪戯をしても、あなたはいつもやさしくあたしを撫でてくれた。
その手のあたたかさは、今も同じ。
そおっとやさしく、あたしの背中をなでてくれる。
あたし、子供はあんまり好きじゃなかったわ。
だって声が大きいし、無遠慮だし。
あたしの気持ちなんかちっともお構いなしにズカズカ近寄ってきて、一度にたくさんの手で撫で回されたら不愉快でしょ。
でもね、わかったの。
あの旅立ちの朝。
5才のあの子が、あたしのために泣いてくれたから。
「もっと一緒にいたら、もっと仲良くなれたのに。」
そう言って、天をはり裂くような大声で、あなたの子が泣いてくれたから。
そうよね。
あたしも、今はそう思える。
さようなら、あたしを愛してくれた人たち。
あたしは、寂しくないわ。
だってあなたたちはこんなにもあたしを好いてくれたから。
心があったかくなって、天国へ昇っていくの。
だから心配しないでね。
あたしは、あなたたちのことの方が心配なくらいなんだから。
16才の老猫を、わたしは病院に連れて行くべきかどうか、ずいぶん悩みました。
病院では点滴を投与されました。
たしかに当日、翌日は一見回復したかに見えましたが、
三日目の早朝、彼女は逝ってしまいました。
点滴が効を奏したのか、その逆だったのか、今もってわたしには答えが出せません。
口から入れられないということは、入れたものを出す力も弱まっているということ。 彼女の腎臓は点滴の水分を排泄することが出来ず、二日後には消化管への水分の滲出の苦しさに耐えきれなかったのか、彼女はもがきながら逝くことになりました。
中医学の学びは、天人合一、整体観念 などから始まります。
人体は自然界、果ては宇宙の影響をも受け、人体そのものの統一性・完整性を重視するという考え方。
臓器をパーツとして見るのではなく、体全体に密接な相互関係が存在し、その調和のなかで健康が維持されるという思考の世界。
もしも、点滴をしていなかったら、
彼女はもっと静かに、もっと安らかに、逝けたのかもしれない。
わたしは老猫の臨終に際し、大きな反省の念を覚えるのでした。
H25.8.2 (金)
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