夏が来ると思い出す☆2
ラムネ色の夏
夏が来ると思い出すもの。
しょっぱい海、空にうかぶ入道雲、
足の裏にからまる熱い砂、子供たちの笑い声、
縁側を横歩きする沢ガニ、スイカ、ラムネ、おばあちゃん、ぼっとん便所と五右衛門風呂、
宝来橋のたもとの高橋薬局・・・
小さな田舎の駅を出て柳井川にそって歩いていくと、せせらぎの向こうに古い木造のその薬局はありました。
ガラス戸を開け、カーテンの代わりにかけられた日に焼けた大風呂敷を手繰り寄せると、そこはたしかにあったはずの場所。 古風な店の土間には不自然な木の板が二畳分ほど敷かれていて、戦時中の防空壕の名残りを残しています。
わたしたちが到着すると、おばあちゃんが必ず用意してくれているもの。
井戸水できんきんに冷やされたまん丸のスイカ。 1ダースのラムネ。
その家に到着するときれいに磨き上げられた縁側に腰掛けて、汗をぬぐいながらみんなでそのスイカを頬張るのですが、、、
誰からともなく、中庭に向かって「ぺっっ。」とスイカの種を吐き捨てるのです。
それはおばあちゃんと私たちだけの秘密の流儀。
スイカを食べ終わると、普段は薪割りをするその中庭をおばあちゃんが念入りに掃き掃除をするのが里帰り初日の定番行事でした。
目を閉じればこんなにもはっきり思い出せるのに、今はもうない夏。
ふとした拍子に思い浮かべる幼い頃の記憶を、今、無性に愛おしく思い出されるのには訳があります。
「光の消えた日」
いぬい とみこ 作
なぜかこの頃、柳井市出身の七十ウン歳の方々の間で静かなブームになっている本。
半年ほど前のある日、仕事中のT子さんに連絡が入りました。
「いぬいとみこ先生の『光の消えた日』を持っといででしたら、貸していただけませんでしょうか?」
それは久しぶりに聞くT子さんの同級生の声でした。
この本のブームはこれまでも何度か去来しているのですけれど、今回は本を元に皆で輪読会をしたいとのことでした。
「ごめんなさい。その本は読まそうと思って娘に貸してから失くしてしまって。」
えぇぇぇ 、なんですかそれは!わたしが悪者ですか!?
わたしはT子さんをなじりたくなる思いを必至に抑えましたが、汚名を返上する機会がようやくやってきました。
一ヶ月ほど前、離れの掃除をしていた際に、部屋の隅にちょこんと整頓されて並んでいた本たちを発見したのです。 T子さんにしまわれたまま忘れられていたのでしょう。
ほこりを払われて母屋に戻ってきたその本を見たT子さんは、殊の外うれしそうでした。
ページをめくると、そこには聞き覚えのある柳井弁がそこかしこに溢れていました。
おばあちゃんがしゃべっていた言葉と同じ響き。
懐かしく読み進むうちに、わたしはいつの間にか“いぬいとみこワールド”に引き込まれていきました。
時は終戦前の昭和十数年頃。
物語は最初、広島からほど遠い瀬戸内の田舎町の幼稚園を舞台に繰り広げられます。
主人公は女学校を卒業して間もない保母さんの今泉朋子。
二十歳そこそこの今泉朋子の目を通して映し出される情景は、敗戦間際とは思えないほどほのぼのとしたやさしい慈愛に満ちたものでした。
T子さんは、なんと 『はにかみやのTコ』 という園児として物語に登場します。
園児たちは皆、今泉朋子先生が大好きでした。
“キミコ” も “ノリオ” も “ショウヘイ” も。
“Tコ” も例にもれません。
「いぬいとみこ先生の膝の上はいつも争奪戦だったのよ。ふわふわして暖かくて気持ちよくって。いぬい先生のだっこがとってもうれしかったの 。」
ある日、今泉先生は園児たちの喜ぶ顔を見たくて大切な大切なクレヨンで紙芝居を作ります。 そのクレヨンは、出征のために帰郷する前日の恋人から今泉先生に贈られた最初で最後のプレゼントでした。
『わぁ、きれいじゃねぇ。』 園児たちは奇声を上げながら色とりどりのクレヨンに群がります。 みどり色のクレヨンを一番最初に手にしたのは “はにかみやのTコ” でした。
物資が不足していた配給の時代、幼い園児たちは色クレヨンを見たことがなかったのでしょう。
貧しいながらも心温まるエピソードの数々。
けれど戦況の悪化に伴い、物語は次第に時代の暗い影を感じさせていきます。
中盤に入ると、
それまでの穏やかな雰囲気が一変し、ノスタルジーに浸りながら読んでいたわたしの脳に衝撃が走ります。
8月6日の広島の原爆投下、14日の光の空襲。
終盤には誰かの記憶に埋もれていた“その日”の真実が、女学生や見ず知らずの女性の口を借りて語り出されます。
柳井は小さな田舎町でしたが、当時多くの学徒や女学生たちが一大軍需工場と化した光工廠(こうしょう)に動員されていた関係でその空襲で多くの若い命が失われたとのこと。 玉音放送の前日の出来事でした。
今泉朋子はその有様を数十年後、幼稚園に実習に来ていた女学生達と再会した際に聞くことになるのですが、、、
そんな作中のエピソードを、ここにひとつだけご紹介しましょう。
ある女性の告白。
原爆投下の数日後に被爆した甥たちを探しに焼け跡の広島をさまよっていた時のこと。
『火傷のきずのとてもかるい子がいました。その女の子はほんとうに小さくて、「お母さん」といえずに、「たぁたん」といっていました。二つくらいでしょうか。その子が、しきりにわたしを見あげて何かいっているのです。
すぐ近くまで火が燃えてきて、けむくって、いきがつまりそうな場所でした。わたしは、火傷のかるいその子をだいて、安全なところに逃げようとしました。・・・・
するとその子は落ちている大きな家のたる木の下をのぞきこんで「たぁたん、たぁたん」といってはわたしの手をひっぱります。・・・・
わたしは両手でそのあたりを夢中で掘りました。火の手が前からも後ろからもちかづいてきます。ようやくたる木の下の地の下から、「たぁたん」とその子がいっている人の手の先だけ、ほんのすこし出てきました。・・・・
「さ、あんた、ここにいては焼け死ぬんよ、わたしといっしょに逃げましょう…」わたしは、その子をだきあげて逃げようとしました。でも、その子は「たぁたんとねんね」「たぁたんとねんね」とだけいって、手のさきだけの母親のよこのたる木とならぶようにして、ねころんでしまったのです。
こわいほど、おとなびた目の女の子でした。女の子は「たぁたん」の手のさきをにぎると、わたしのほうを、(ありがとう)というようにじっと見て、にっこりわらいさえしたのです。火がわたしのもんぺのところまで迫ってきました。(ごめんね…ごめんね)と、わたしは目をつぶってそこから逃げだしてしまったのです。…生きていたその女の子を見殺しにして…。』 【光の消えた日/いぬいとみこ作 一部抜粋】
幼子がその母を求める思い
それもまた、無償の愛なのでしょう ・ ・ ・ ・ ・ ・
この作品を読んでしまった今、
わたしのラムネ色の夏の思い出は、70年前の戦争と広島の原爆と犠牲となった人たちの悲しみとに結びついてしまいました。
そして現在、原発再稼動を巡ってさまざまな意見がこの国を飛び交っています。
わたしたちは、
今いる子供達のために、どんな未来を描いていけばよいのでしょうか。
主人公の今泉朋子は いぬいとみこ その人です。
いぬいとみこさんは、
幼い日のT子さんが大好きだったその膝に我が子を抱き寄せることのないまま、独身の童話作家として生を全うされました。
T子さんは幼稚園時代にいぬい先生に教えてもらった「にんじん、だいこん、かぶら」の歌を今も口ずさみます。
にんじん♪ だいこん♪ かぶら~♪
にんじん♪ だいこん♪ かぶら~~♪ 種をば蒔くよ~♪♪ ・・・♪
それはやせ細った園児たちにお腹いっぱいの夢を運ぶ、魔法の歌だったのかもしれません。
柳井川の宝来橋は、後に名前がその川の橋々を転々としたそうです。
「こっちの橋が宝来橋じゃったのに、向こうの橋に名前をとられちゃったんよ。」 なんておばあちゃんは言っていました。 今、その橋はなんという名前になっているのでしょう ・・・ 。
<長 新太 画>
9月28日 後日記
今日は山口県の山陽小野田市にお住まいの O夫人より、柳井市の写メールをいただきました♪
TV画面に映ったところを急いでパチっと写メして下さったそうです。
夜の白壁の街に、ぽぉっと浮かぶ金魚ぢょうちん。
おばあちゃんの高橋薬局は、こんな通りの数軒先にありました。
この静かな情緒が、いつまでも残ってくれますように。
おばさま、ステキな写メをありがとうございました 。
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