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2011年3月

2011年3月26日 (土)

明日の勇気

あの地震の日から、何日経ったでしょう。

 

被災された方々をなぐさめたくて、

勇気付けたくて、

それでも、言葉が見つかりません。

今はたくさん泣いて、たくさん悲しんで、たくさん後悔しているかもしれない。

きっと、今はそれでいいの。

 

でもね、たくさん泣いたその後に、

思い出してください。

あなたの中には、生きる勇気が眠っているはずです。

その勇気を忘れないで。

きっと、あなたの明日を切り開いてくれるから。

 

アンパンマンのマーチ、くじけそうな時のお守りの歌になります

 

 

赤堀薬局の今日、

午前中の出来事

 

「まいど。」

いつも元気な S さんが、いつも通りの陽気な掛け声でお店に入ってきました。

でもちょっとだけ、いつもと違う。

そうそう、制服を着てるんです。 普段からサッカーやトレーニングで体を鍛えているSさんですから、制服を着用した姿は一段と男前です。 そう、Sさんは消防士。

「今からフクシマに行くんだよ。」

薬を手にしながら、いつも通りの陽気な声。

えっっ? フクシマ 福島? Sさんがあんまりにも普通に言うから、思わず問い返してしまいました。

消防団で出陣命令(って言うのかしら?)が出たとのこと。

心の広い屈強なSさんのことですから、被災地でもきっとすばらしい働きをして現地の方々を助けるでしょう。

あぁ、ここにも一人、ヒーローがいた。

あの地震の日以来、わたしの涙腺は幾分ゆるくなっています。

潤んでしまう目頭を隠したいのと、お餞別にドリンクの一本でもと思ってドリンクケースに駆け寄ると、

T子さんが一言、

「一箱、お持ちいただきなさい 。」

さすが、T子さんです。

Sさん、いってらっしゃい。 がんばって沢山の人を助けてきてあげてください!!

 

薬剤師会でも現地に赴くボランティアの薬剤師を募集しているとのことで、わたしもT子さんのお許しを請おうとしたら・・・

もちろん、不許可。

理由は明白。 赤堀薬局にはわたしがやるべき仕事が山ほどあって、微力ながらわたしを頼りにしてくれている患者さんもいて、もちろん家族の世話もしなくてはならなくて、、、 だから、人助けを謳って遠くに行かなくてもここで十分皆さんのお役に立ちなさい、ということ。

言われるだろうな、と思っていたことをすっかり指摘されてしまいましたが、T子さんの最後の一言にわたしの心はほっこり温かくなりました。

「そういうところ、あなたはあの人に似てるわね。」

「阪神淡路大震災のとき、あの人もボランティアに行きたいって言ってたわ。」

そう、わたしはY男さん似。 これがわたしのプライドです

 

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2011年3月22日 (火)

お引越しします

アクセス集中により記事を引越しいたします

 

ララ通信読者の皆さま、

いつもご覧いただいてありがとうございます

 

アクセス集中のため以下の記事を、ララ通信・番外編 に引越しいたします。

 

チラーヂンを服用中の皆さまへ ③ ~ 必ずご覧ください

チラーヂンを服用中の皆さまへ ②

チラーヂンを服用中の皆さまへ

震災とクスリ

 

 

ご迷惑をおかけして申し訳ございません。

 

皆さまがいつもお元気でありますように、

そのために、ララ通信がほんの少しお手伝いできますように、

これからもぼちぼち記事を書いていきますので、応援よろしくお願いいたします

 

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2011年3月18日 (金)

チラーヂンを服用中の皆さまへ ③ ~ 必ずお読み下さい

記事を引越しいたします。

 

ララ通信・番外編 http://akahoriq.cocolog-nifty.com/

をご覧ください。

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2011年3月15日 (火)

わたしが応援したい人

願いよ、とどけ

 

お父さん、あなたの大好きな日本が大変なことになっています。

東北地方の太平洋沿岸では、大地震のあとに未曾有の大津波に見舞われ、壊滅的被害を被ったばかりだというのに、

今度は、原子力発電所が放射能漏れの大惨事となるか否かの瀬戸際にあります。

 

高濃度放射性物質の放出が続く福島第一原発。

そこでは、日夜、作業員による決死の作業が続けられているそうです。

それは、放射能汚染の恐怖と闘いながらの本当に“決死”の作業。

15日、注水作業は東電や協力企業の作業員800人で行われていたところ、爆発に伴い多くの作業員が現場を離れざるを得なかったとのこと。

 

残されたのは、「必要最小限」の50人。

 

この50人の勇気を、

被爆の恐怖に苛まれながら、それでも地域住民のために、電力の安定供給のために現場で働いてくれている800人の献身を、

わたしたちが応援してあげることは、できないのでしょうか。

彼らは、今まさに、文字通り命を賭けて働いてくれているはずです。

その覚悟は、旗色が悪くなればあっという間に辞任してしまうような政治家先生の比ではないようにも思えます。

 

たしかに、事故の報告や汚染状況の開示、経営陣のあり方など、

議論の余地はいくらもあるでしょう。

そうした問題点は、これからたっぷり反省しましょう。

ですが、今は

チェルノブイリを連想させる尋常ならざる大惨事を未然に防ぐために、どうするか。

それが何より大切なはず。

原発批判をするより、

東電社員を叱責するより、

今、わたしは

日本の未来を守るために、周辺住民の健康を守るために、命をはって作業してくれている方達を応援したい。

 

ワールドカップのあの時のように、

あの青いサムライ達を応援したように、

みんなで事故現場で尽力する作業員達を応援できないものでしょうか?

 

 

15日午前、隣接する3号機付近で観測された400ミリ・シーベルトの環境下での作業は、15分が限界だそうです。

津波による被害で停電も続く今、

照明がつかない真っ暗闇の屋内では、作業効率も上がりません。

余震が続く中、津波警報で作業の中断をされることもあるとのこと。

【12日午後、高圧になった1号機の格納容器内の蒸気を逃がすための弁が開放された。 ... その作業にあたった男性は100ミリ・シーベルト以上の放射能を浴び、吐き気やだるさを訴えて病院へ搬送された。】  (3月15日 読売新聞 YOMIURI ONLIN より抜粋)

この作業により、

格納容器に亀裂が入るという最悪の事態はまぬがれました。

この日、わたしたち日本人は間違いなくこの作業員に救われていたのです。

 

東北地方では今、多くの被災者が想像もできないような辛さを味わっています。

その辛さを助けようと、多くの方々が尽力しています。

わたしたちはその方々を褒め称えます。

わたしは、それと同じように原発の作業員達を称えたい。

今はまだ、作業の途中。

最悪の事態に至る可能性は、依然ある。

そんな今だからこそ、わたしは彼らを応援したい。

 

がんばれ、東電で作業する人達!

がんばれ、そこで尽力する関係者達!

あなたたちはわたしのヒーローです!!

日本の未来は、今、あなたたちの肩にかかっています!!!

 

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2011年3月12日 (土)

なんということでしょう。

壊滅的被害!? 東北地方太平洋沖地震

 

昨日の大地震から一夜明け、

被害の状況が明らかになるにつけ、胸が押しつぶされそうになるような、そんな思いがしてきます。

 

地震が発生した14時46分、

我が家のT子さんは、東京在住のRさんと電話中でした。 

受話器の向こうから 「あ、地震だ!揺れてる!!」 と叫び声がして、「ひどい揺れだから切るね。」 とRさんが電話を切ろうとしたとき、

受話器を握り締めていたT子さんにも、その揺れが届きました。

わたしの住む藤枝では、ちょっとばかり揺れてちょっと恐かったくらいで被害は全くなかったのですが、

関東に住む知人の安否が心配でテレビをつけると・・・、

刻々と映し出される深刻な映像に、戸惑うばかり。

 

これが、本当にわたしの知っている日本なの?

画面の中で、車を走らせて津波に呑まれそうにそうになっているこの人は一体どうなってしまうの?

迫り来る津波と燃え盛る炎のあまりの衝撃に、ドラマかなんかの架空の出来事のような気さえしてきて

テロップに流れる死者・不明者の数が、頭の中で文字化けして、

わたしは一瞬、現実を受け止められなくなっていたようにも思えます。

災害の地から遠く離れたわたしが、こんな風に動揺するのですから

実際に被災された方達がどれ程の思いをされているのか、その心中は計り知れません。

 

どうか、

危険なところに取り残された人が、一刻も早く救出されますように。

水と食料と防寒具が、早く皆に届きますように。

怪我人が早く治療を受けられますように。

避難生活ができるだけ早く終わりますように。

誰かの心に、深刻な心の傷が残りませんように。

 

そして、一日も早くみんなが明るい顔を取り戻して、明るい町を復興しますように

 

そのために、何かわたしに出来ることはあるでしょうか?

 

今は、ただ祈るばかりで、

自衛隊や消防団や政府・自治体の方々の救助活動を画面越しに見守るばかりです

 

(亡くなられた方々に、合掌。)

 

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